あきらんのブログ「即興劇・話す場つくりの体験会お知らせ」 |
|
辞書になった男
ケンボー先生と山田先生 佐々木健一著、文藝春秋、2014年2月 国語辞書。 だれが編集しているなどと関心もなかった。 が、とある方から、辞書に人生をかけた男の人がいるっていうんで、調べて読んでみた。 記憶にあるのは、金田一氏という名前だった。 本の中の名前は、見坊豪紀氏 と 山田忠雄氏。 国語辞書を作るという、目立たない。けれど、日本人が日本語を学ぶ、大人になって意味を確認する、くらいしか思いつかないのだが、あって当たり前、なくては困る、まるで空気な存在は、あまりにも目を向けられない、関心の薄いところである。と私は思うし、私自身もそうだった。 金田一というのは、商品を購入してもらうための肩書のようなもので、最初は関わっていただろうけれど、ずっと掲載されていても、名前だけ貸していた、らしい。 そして、実際二人が中心に作られていたようだった。 戦中に、辞書は使いにくかったらしい。それを見坊氏が、口語を用いた。雑巾はぞおきんと。 あと、意味合いが堂々巡りしている内容を変えていった。 当時、見坊氏が中心に、山田氏は補助で辞書を作っていた。(三省堂国語辞典)それが爆発的に売れた。 見坊氏は、言葉を集めて、それから辞書に掲載して妥当かどうかの言葉を検討して、選抜して掲載するというやり方をしていた。つまり、辞書にある以上の言葉を収集することになる。それが、だんだんとエスカレートしていく。それは見坊氏の信念のもとに。 そのころ、辞書界では、内容をコピーして作成することがまかり通っていた。 見坊氏は、どんどんと言葉収集に没頭しているさなか、三省堂は、辞書の世間の批判と改訂版をなかなか作業しない彼に、豪を煮やし、見坊氏の許可のもと、山田氏に白羽の矢を立てた。一時的なこととして。 山田氏は、独自の他の辞書にコピーできない。自分の信念に基づき辞書を作ることになった。これが、新明解国語辞典である。 その後、二人は生きている間には、協力して同じ辞書を作ることはなく、また交流もなかったそうな。 そんな話を、関係する人たちは、静かに、しかも畏敬な存在としていた。 が、著者は知りたかった。 読んだ私は、読んでよかったと思う。分厚い本を手にしたとき、躊躇した。え?こんなに分厚いの? 面白いやろうか・・・。 けれど、読むと、なかなか進みはしないけれど、面白くて、外出するときに持ち出して、読んだ。電車の中で読んでいて、乗り過ごした時もある。アハハ・・。 分厚いだけで、読みやすい本ではあった。見坊氏は、人生をかけたといっても過言ではない。超人。山田氏の辞書に対する思いも、伝わってくる。そんな本だった。
by naizaisurupt
| 2016-12-18 11:57
| [本]のお勧め紹介
|
Comments(0)
|
検索
カテゴリ
全体 柔らかな出偶いの即興劇かるちぇ 即興表現・傾聴表現 プレイバックシアター 内在するものプロジェクト等 非構成的円座グループ イベント一覧 文章を書く かいご、共に生きる [本]のお勧め紹介 [映画][アニメ]のお勧め 魅力的な[場] [その他いろいろ]お勧め 暮らし 食 アウトドア(歩く等) 大阪プレイバックシアター 過去の活動 未分類 最新の記事
記事ランキング
最新のコメント
外部リンク
以前の記事
ブログジャンル
画像一覧
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||